明治・大正の引札
- 会期
- 2003年9月8日~2004年6月22日
- 会場
- Pam A館
「引札」という名称の由来は、「客を引く札」「敷く(配る)札」といわれ、いわば今日の広告チラシの原形にあたります。
商人が宣伝文を記した紙を配るという手法は、江戸の前期まで遡ることができますが、色鮮やかな絵柄を全面にあしらった引札が大量に発行されるようになるのは、明治末期から大正初期になってからです。『大阪印刷百年史』によれば、明治末期、商都・大阪では1000万枚を超える引札が発行されていたといいますから、その存在は当時の大衆文化の一翼を担っていたといっても過言ではありません。
引札の最盛期にあたる明治・大正期は、産業構造の変化や先端技術の導入など、社会そのものが大きく変容した時代でした。当然のことながら引札も、技術と表現の両面で江戸のそれとは異なる姿に移り変わっていきます。
まず技術面では、従来の木版印刷に代わって石版印刷が導入され、本格的な量産体制が整備されました。また製紙の分野においても、和紙から洋紙への転換が計られ、石版多色刷の体制を底辺で支えていきます。
こうした技術転換をうけて、表現面でもさまざまな試みが実践されていきます。とりわけ新年の挨拶を兼ねた引札では、代名詞ともいうべき七福神や福助を描いたものだけでなく、最新のモードに身を包んだ美人像や蒸気機関車などの近代的なモチーフ、あるいはカレンダーや郵便料金表などの実用的な情報を付加したものなど、さまざまなバリエーションが考案されていきます。昭和になると、引札は西洋式の広告手法に圧されて徐々に衰退していきますが、現在でもその表現力は私たちを魅了して止みません。おそらくそれは、当時の引札が広告+宣伝のための道具というだけでなく、生活のなかに笑いや遊びを取り入れようとした一種のエンターテイメント・メディアだったからではないでしょうか。
本展は、特種製紙が所蔵する引札コレクション1000点のなかから約300点を厳選して公開いたします(パート1/パート2で展示替え)。どうぞポップでキッチュな「紙のエンターテイメント」をお楽しみください。
会場写真